あの時の色… あの時の匂い…。
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何の前触れもなくフッと蘇った風景は、妙に懐かしい感覚で私を包んだ。
しばらく私は、それが何処なのか?を考えていた。
確かに見たことがある風景だったが、その時の私には思い出せなかった。
夢の中で見た景色だったのだろうか?それとも…
僅かだったが、風景と混じりあうように、
鼻先をくすぐる擦れたような匂いも嗅いだ…。
確かに見たのだ!確かにその匂いを嗅いだのだ!
…そんな気がした。

人生には、誰でも忘れられない色や匂いがあるのだと思う。
もちろん私にもある。最近になって、それが私の人生に深く影響を与えてきたような気がしてならない。

私にとって忘れられない色---それは、初冬の信濃大町の夕暮れの色だ。と言っても、私はその色を直に自分の目で見たことがない。
山と旅が大好きだった親父が、コツコツと買い集めた旅行本の1ページに載っていた写真の色である。16センチ四方程のシリーズ本で、確か背中には「信州・飛騨」と書かれていたように記憶している。その中の1枚の小さな写真の色が、未だに私の心を捉えて放さない。
薄っすらと霜を降ろしたような畑の色に、薄紫の山並みが横たわり、その山肌は黄色ともピンクともまた、紫とも言えない微妙な夕暮れのグラデーションで混じり合っていた。その写真からは、初冬の信濃大町の物寂しさ、吹いていたであろう風の冷たさ、焼き畑の香ばしさを残しながら漂う煙の匂い等を伝え、大町の色として私の脳裏に長い時間、記憶として留めている。その写真を始めてみた時、私の心臓は大きく鼓動し、全身に電流が流れた。何故かトイレにも行きたくなった。そしてそれが私の忘れられない色となった。

私の好きな色は夕暮れの赤でもなく黄色でもない。また、太陽が沈む間際の群青色でもない。それらが混じり合った微妙な色だ。それは、太陽が作り出した色ではなく、太陽と、土と風と、おそらく地球上に存在する全ての物が溶け合って、ほんの一瞬のみ存在した色だったのかもしれない。

その後私は、仕事柄、数え切れないほどの夕景写真を見る機会に恵まれた。また、実際に数え切れないほどの夕景も見た。山の頂で見たり、一人波の上に漂いながら見たりもした。それはそれなりに美しい色である。感動を呼び起こす色でもある。しかし、あの時と同じ深さの感動を得る事は未だ出来ていない。

社会に出てその色を探しに何度か大町を訪れた。
しかし、いつも失望して帰って来た。

残念ながら回りの全てが変わり果てた今では、もう、自分の目では見る事ができない色なのかもしれない。それとも、あの色はカメラのレンズを通してのみ出せる色だったのだろうか、もしかして、印刷インクの悪戯による偶然の色だったのか――?
私に結論は出せない。

その旅行本も、もう私の手元には残っていない。
もう二度と「その色」にはめぐり逢えないのかもしれない…。

”におい”を漢字で書くと、匂い・香い・臭いとなる。”香い”は清々しい良い香りだ。
”臭い”はクサくて鼻がひん曲がる。”匂い”は、そのどちらでもないか、または総称だ。私の記憶に残っている匂いはクサイ臭いだ。もちろん、”香い”もあるのだろうが、その強烈さ故、”臭い”が今でも記憶に残っている。

どんな匂いだったのか?一言で書くには難しい。増して、それが何の匂いだったか分からないだけに厄介だ。とにかく、ギンナンに似た腐ったような醗酵したような蒸れたような匂いだった。

その匂いを嗅いだのは、おふくろに連れられ、何処かの山間か渓谷に建つ旅館のような場所に行った時だ。泊まった覚えはないから、恐らく近くだったに違いない。
私はおふくろに連れられ、そこに行った。おふくろは着物を着ていた。「一緒に入るか?」とおふくろは聞いたが、「ううん、外で待ってる」と言った記憶がある。そこは、その旅館のような場所の庭だった気がする。そこでその匂いを嗅いだ。地面が湿っていたような気がするから、恐らく雨が降った後だったのかもしれない。とにかく、しっとりとしていた。その庭の片隅で落ち葉が焼かれていた。その匂いは、最初からそこに漂っていた。
「変な匂いがしとって、臭いなぁ〜」と思った。おふくろが戻る一〜二時間の間、私はその匂いの源を追求してやろうと探し回ったが、結局探し当てる事は出来なかった。
そのまま、その匂いは、私の今に及ぶ疑問となり記憶となった。

10数年前、おふくろがまだ健在中の時に、一度、その匂いの事を話した事がある。
「あぁ、それやったら、箕面や。○○生命の何々会で行った時やな……秋やったやろ、もみじが紅葉しとって奇麗やったやんか……。××のおばちゃんも来とったやろう……」「そうか、箕面かぁ〜。そう言うたら、おばちゃんも来とったなぁ〜。あの時、変な匂いしとったやろ?」「そうかなぁ〜覚えてへんわぁ〜」――そこで話は終わった。

結局、そのまま、あの時の匂いの正体は分からないままとなった。分かったのは、あの場所が箕面だったと言う事と、もみじが紅葉して奇麗だったと言う事だけだ。そう言えば、私の知っている箕面の雰囲気に似ていた。しかし私の記憶には、もみじの紅葉はインプットされていない。ただ僅かながら、落ち葉焼きの中に紅葉したもみじの枝が混ざっていたような記憶もある。そして箕面の何処であるかは、残念ながら聞きそびれてしまった。

おふくろが逝った後、アルバムを繰ってみたが、そのような写真は見つけられなかった。
仮に残っていたとしても、もうそこに、そのような匂いは漂っては居まい……。
「その匂い」に私は50年近く振り回されてしまったのかもしれない……!

もうひとつの匂いがある…。

団塊の世代に育った私の通う小学校は、今では考えも及ばないマンモス校だった。
何しろ、全校の生徒が三千人を超えていた。毎朝の朝礼時には、全校生徒が運動場に一同した。それは、毎日がオリンピックの開会式の様相を呈していた。低学年には、高学年のお兄さんやお姉さんが大人のように大きく感じられた。

校舎は木造で床油の独特の匂いが鼻を突いた。その匂いが私の小学校の匂いとなった。 もうひとつの匂いである。
運動場を囲むように建てられた古い校舎の前には、背の高い銀杏の木が植えられ、それが運動場と学び舎を仕切っていた。秋になると鈴なりのギンナンが実を結んだ。
低い階の教室は低学年用だった。高学年になるほど教室は高い階になり、それに連れ見晴らしも良くなった。それが高学年の特権だった。まだ、高層ビルも立ち並んでいない当時、四階からでも生駒連山が望めた。

校舎の裏には、日当たりの良い園芸畑があった。遊び時間になると、さすがに広い運動場も狭く感じられたが、校舎の裏は結構空いておりボール遊びを楽しむ事も出来た。 窓の下には花壇があり、そこには小さな手で植えられた色々な草花が育っていた。
床油の匂いがする廊下は、踏み締めるとギシギシと音がし、遊び時間には喚声が飛び交ったが、授業が始まるベルと共にシーンと静まり返った。その空間を、オルガンの音と元気な歌声が流れた。窓際には水栽培のヒヤシンスの芽が隣同士で背を競い、後ろの黒板にはクレパスの真新しい匂いがする絵が張り出されていた。

冬になると石炭ストーブが焚かれた。その周囲には金網のネットが置かれ、その横には黒いバケツに一杯盛られた石炭があった。石炭ストーブから伸びたブリキの煙突が直角に曲がり、丸い穴から窓の外へ伸びていた。ストーブの上では、いつもヤカンが湯気を上げていた。高学年になると火入れは学級委員の役目だった。学級委員は誰よりも早く登校し、かじかんだ手でストーブに火を点けた。私が登校した時は、いつも教室が暖かかった。
――そうだ、あの懐かしさの残る風景はこの風景だったに違いない。――


私の通った小学校にも、もう木造校舎はない。木造校舎の建っていた場所には、いつの間にか鉄筋コンクリートの近代的な校舎が建ち、窓はアルミサッシになった。廊下を歩いても、もう、ギシギシと音はしなくなった。石炭ストーブも無くなった。
そして、あの懐かしい床油の匂いも、今は嗅ぐ事はできない。


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