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チンチン電車の線路沿いに細い道がある。
人ひとりがやっと通れる幅しかない。
この道は、単なる抜け道のために作られた道ではない。歴とした生活道路である。
私は、この道を買い物に行く母に連れられ、日に何度も往復していた。
その道は、少し行くと直に倍ほどに広くなった。その広くなったところに夏みかんの木が生えていた。もちろんその夏みかんの木は人の庭に植えられているモノだが、竹垣一つを隔てて道に面していた。

初夏になるとみかんの木独特の葉の香いを辺り一面に振り撒き、重そうな大きな実を幾つもつけた。

梅雨も空け、そろそろ夏の気配が感じられる日。私は、その夏みかんの木の一枚の葉の上に何かの幼虫が居るのを発見した。
緑色をした4〜5センチはある大きな奴だ。おまけに厳つい顔をしており、表面には黄だの黒だのと毒々しい色の縞がついていた。一見して「俺は危険だぞ!近寄るなよ!」と警告しているようだった。
色は緑色だが、これは「モスラ」だ!
私はそれを見て、一体これは何の幼虫だろうと思った。
今までに見たことがない生き物だった。
モンシロ蝶の幼虫は、良く見て知っていた。しかし、これは、そんな優しい容姿ではなかった。
「ひょっとしたら、これはカミナリの子供と違ゃうか……?それか、大嫌いな蛾かもしれへん……。そやけど、蛾やったら絶対にスズメ(蛾)やぞ、こんなにでっかいもんなぁ……」と独り言を言った。
当時、我々は、アゲハ蝶のことをカミナリと呼んでいた。但し、カミナリと呼んだのは普通のアゲハ蝶だけであり、キアゲハやアオスジはその通りの呼び方をした。今でも蝶は好きだが、蛾はどんなに小さくても好きにはなれない。見ただけで背筋がゾッとする。私はしばらく迷った挙げ句、その幼虫を葉ごと家に持ち帰り、下駄箱の上にあった紙製の靴箱に穴を空けて入れておいた。

そしていつしか、私は靴箱の謎の幼虫の事などすっかり忘れてしまった。
それから数週間が経っただろうか?、私はいつもの通り学校から帰るなり玄関にランドセルを放り投げて遊びに出ようとした。その時、何処かでバタバタと言う音を聞いた。
玄関と言っても当時の玄関には勝手口のような木戸がついていた。ガラス等はない玄関は、殆ど陽が射さず薄暗かった。そこで奇妙な音を聞いた私は、反射的にビクッと身震いをした。今度はガサガサと音がした。その音は、どうやら下駄箱辺りから聞こえてきたように感じた。そして、ようやく忘れていた靴箱の事を思い出した。「そや、靴箱の幼虫が孵りよったんや……もし、蛾やったらどないしょう……」心細い気持ちで私は靴箱を抱え庭に出た。そしてへっぴり腰になりながら、地面に置いた靴箱に竹竿で蓋を開けた。靴箱の中から黒い影が飛び出して来た。「うわぁ〜」私は腰を抜かし掛けた。ひっくり返りそうになりながら、私は黒い影を見た。そこには、大空を目指して飛んで行く大きな黒アゲハの姿があった。私は放心状態のまま、眩しい太陽に向かって行くその黒い姿を見詰めていた。

小学生時代の夏休みは、その殆どを遊びに費やした。捕虫網を持っての昆虫採集もそうだったし、ヤンマ釣りも日常事だった。そして、忘れられない一つが、穴蝉捕りである。

蝉は成虫になって一週間から十日間の命だが、幼虫の時は7年間も土の中で暮らしている。蝶やホタルと同じく、優雅な姿でいられるのは、一生の内のほんの僅かでしかない。
暗い穴の中で暮らしているのは、先ほどの靴箱の中の黒アゲハと同じかもしれない。


小学生の一〜二年の低学年の時は、昼間、木の根もとの小さな穴を見つけ、その穴から小枝などを利用して蝉の幼虫を引っ張り出した。蝉の幼虫を穴蝉と言った。経験から、その穴の中に水を入れてやると、幼虫が這い出して来ると言う知恵も身につけた。高学年になって来ると、行動時間も大幅に広がり、暗くなっても外で遊んでいるようになった。暗くなると懐中電灯が必需品となった。我々は誰もが懐中電灯を携え、連れ立って近所の神社の境内に出向いた。懐中電灯で木の幹を照らすと、面白いほど多くの穴蝉が孵化のために木の幹をよじ登っていた。
その穴蝉を手当たり次第に捕まえて篭の中に入れた。既に孵化を始めた穴蝉はそのままにしておいた。何故なら、孵化中に手を触れると、その穴蝉は完全なる成虫に成れないからだ。羽根は曲り飛ぶ事もできなくなる。
そのような蝉は、一週間どころか二〜三日も生きられない。成虫も幼虫も、我々の遊びの対象ではあったが、孵化中の蝉だけは神聖な対象として遊びの対象からは削除された。

もちろん、この事実が判明するまでの間に、何匹かの犠牲があった事は否めない。

その日は特に穴蝉が多く捕れた。木枠に金網を張った私の特性の虫篭には、50匹近い穴蝉がひしめき合っていた。私はその穴蝉を家に持ち帰り、御膳の上に被せる蝿避けのネットの中に放した。
やがて、穴蝉はネットによじ登り次々と孵化を始めた。背中が割れ、薄緑の半透明の体が出て来た。孵化はゆっくりゆっくり進行していった。私は見入るようにその孵化を観察した。未だかつてトンボの孵化は見たことがないが、蝉の孵化は何度も見ていた。しかし、いつ見ても、何度見ても飽きる事はなかった。20〜30分もすれば、蝉の全容が現れた。徐々に羽根が伸び、一時間後にはすっかり蝉の形となった。しかし、まだ本来の蝉の色にはなっていない。しっかりと体全体が乾いて、初めて本来の蝉となる。

翌朝、ネットの中では殆どの穴蝉が孵化していた。その殆どはジャンコだったが、何匹かは油蝉も交じっていた。何匹かはネットの中でけたたましい鳴き声を上げていた。
私は、以前、黒アゲハでしたように庭でネットを開け放った。蝉は黒い固まりとなって一斉に飛散した。一部が、庭のビワの木に止まった。

それから7年程経った頃から、我が家の庭でも蝉の抜け殻が時々見られるようになった。
ひょっとしたら、蝉にも帰巣本能があるのかもしれない……。

昭和40年代と言うのは、ある意味では庶民文化の空洞期であったのかもしれない。
その年代は、高度成長時代と言う流行語が日本列島を圧巻していた。明治、大正、昭和と続いてきた各地の祭りや風物詩の多くが一時的に姿を消した。その殆どは、現在また復活を見せているが、完全に失われてしまったモノもある。

夏の夜の夜店もそうである。今でこそ、夜店と言えば祭りの縁日を思い浮かべるが、昔は祭りに限らず、5のつく日や7のつく日に道端にずらりと出店が並んでいた。その出店を、夕涼みを兼ねた家族連れが楽しく見てまわった。
そんな中にホタルを売っている店も幾つかあった。1メートル程の四角い網の中で源氏蛍や平家蛍が、ほのかな灯りを点していた。

私は母に、そのホタルを買って貰った事がある。金網の小さな虫かごに入れてもらって、大切に家まで持って帰った。霧吹きで霧を吹きかけてやると良く光った。暗いところの方が良く見えるだろうと、私はその虫かごを押し入れの中まで持ち込んだ。暗闇の中で、黄緑色のぼんやりとした点滅が奇麗だった。
買って貰ったホタルは2〜3日の命だった。やがて点滅はなくなり、虫かごの中でホタルは動かなくなっていた。

残念ながら、私は自然のホタルを見たことがない。夏の夜空に、ホタルが乱舞している様子は知らない。

ホタルは、環境の変化に敏感で弱い虫だ。清流が無ければ生きてはいけない。優雅に夜空を飛び回るその姿は人を魅了する。しかし、幼虫の頃はトンボや蝶と同じく、決して可愛い存在ではない。しかも獰猛な肉食だ。優雅な時期は、その一生のほんの僅かな時間でしかない。

数年前、ある人から、岸和田の山間部に、今もホタルの乱舞が見られるところがあると聞いた事があった。その時は既にホタルの乱舞の時期は過ぎていた。私は「よし、来年は一度行ってみよう……」と思いつつも、今日現在まで訪れた事はない。
今でも、その場所に行けば乱舞が見られると言う確証もない。

私の住む南港にも夏祭がある。そして多くの縁日が開かれる。昔ながらの綿菓子やもあれば、輪投げも楽しめる。
しかし、そのどこにも、ホタル売りはもう居ない。
ホタル売りは、いつしか甲虫売りに変わっていた。

先日、「あの道」を想い出し、数10年振りにチンチン電車に乗った。電車の車窓からほんの僅かな時間だが、少し雰囲気は変わっていたが今も「あの道」は健在だった。
自転車も通れない細い道だが、今でも生活道路として頑張っているようだ。
その道から少し歩けば住み慣れた実家があったが、残念ながらその実家の姿は今はない…。

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