あの夏の日…「風の贈り物」
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00006風私がその風に出会ったのは、小学校2〜3年の頃だから昭和30年代半ばの夏休みだった。

まだクーラーなどと言う代物は一部のお金持ちの応接間に設置されていたぐらいで、多くの家にはクーラーどころか扇風機も無いのが常だった。
それでも、今ほど道路がアスファルトで覆われることもなく、至る所が埃っぽい地道であったためか、夏といえども今ほど蒸せ返るような暑さは感じなかったように思う。

当時私は、大阪の住吉と言う下町に住んでいた。五軒長屋の真ん中の借家だった。前には大家の邸宅が大人の背丈以上もある垣根の向こうに広がり、そこには池があり茶室が佇んでいた。丁度、我が家の前には一本の樹が植えられており、二階の窓からの視線がそのてっぺんと同じぐらいだったから、おそらく7〜8mの背丈があっただろう。
5人兄弟の末っ子として生まれた私は、その当時からいいかげんな性格で、13年上の兄を筆頭に出来の良かった姉たちとは違い大の勉強嫌いで、毎年のように夏休みの終わり頃になると気の遠くなるほど残した宿題の山を目の前にして、今まで遊びほけっていた事を後悔していた。しかしその後悔も、いいかげんで怠け者の性格の成せる技で直に喉元を過ぎ、明日があるさ……とケロリッと忘れてしまい、また遊びほけっていた。

そんな怠け者の私でも、夏休みの始めの頃には一日のスケジュールを円グラフのように書き、奇麗に色を塗って、今年こそは頑張ろう!と一念発起するのだが、やはり3日と続かない。自分でもほとほと情けないと思っている。

その夏休みのある日、二階で寝ていた私は、何とも言えない心地よい風の中で目を覚ました。回りでは既に姉たちが卓袱台のような小さな机を幾つか寄せ集めて勉強をしていた。
昔ながらの2間もある大きな窓は開け放たれ、青葉を茂らせた大きな樹のてっぺんが真っ青な夏の青空と白い入道雲をバックに見えた。

普段なら生暖かい風が吹いているはずである。しかしその時の風は違っていた。どこか高原を渉って来たような清々しい風だった。その風はいつまでも吹き続けていたのではなく、一瞬、私の体を通り過ぎただけだったが、子供心にも普段とは違う何かを感じさせて通り過ぎていった。その風に包まれた瞬間、とても幸福な気持ちになった。

目覚めた私は、「今、何か涼しい風吹かへんかった?」と尋ねたが、誰もそんな風の事など知らなかった。

あの風は何だったのだろう……。

あれから五十年余りの歳月が過ぎてしまったが、今でも一瞬ではあったが、あの時の風の優しいような冷たいような、それでいて心地いいような妙な感覚が私の肌に残っている。
00006入道雲

もう一度あの時の風に出会いたいと私は思う。
しかしその後、その風に出会ったことはない。


我が家に初めてクーラーがやって来たのは、私が19歳の時である。それも、新品を購入したのではない。
当時勤めていた旅行社の先輩が、退職し喫茶店を始める事となった。そのお店のデザインを描かせて貰ったお礼にと、当時のお金で5千円程頂いたように思う。給料が2万円そこそこだったから、結構良いアルバイトとなった。
そしてついでに、その先輩が今まで使っていたクーラーを買い替える際に、古いものを頂いたものだった。このデザインが、今に至るクリエイティブ生活の初めての収入を伴う仕事となった。

そのクーラーは外国製のウインドウタイプだった。室内機と室外機が一体となり、丁度、凹型になっていた。その凹み部分に窓枠が入る仕組みだった。
私は頂いたクーラーを、さっそく自分の部屋に取り付けた。

このクーラーは強力だった。しかも、かなりの重量だった。一人で抱えると数歩しか歩けないほど重かった。電源を入れると、ゴオーッと言うものすごく大きな音と共に、ガラス窓がガタガタと音を立てて震えた。そして、急激に室内の温度が下がっていった。振動は、完全な設置をしていなかった事が原因に他ならなかった。もし、しっかりした台を作り固定していたなら、もっと振動を押さえる事が出来ただろう。私は、ただ単に窓の敷居に置いただけだった。 「強力なクーラーでんな、ものすごい音がしまんなぁ〜」お隣さんが私に言った。
もちろん嫌味半分だったろうが、私は笑ってごまかしていた。

その強力さ故に、1時間も回せば2〜3時間は涼しい思いが出来た。2〜3時間回せば寒かった。つまり、今のクーラーのようにサーモスタット等はない。よって、一度電源をONにすると、OFFにするまで冷やし続けた……。余りの騒音で夜中は使用を自粛するしかなかったが、それでも、初めてのクーラーは快適だった。

このクーラーは、二階の私の部屋を8年余り冷やし続けた。途中、結婚をし、もうひと部屋に新しいクーラーが増えたが、相変わらず強力さを誇示していた。

27歳になって引っ越す際に、このクーラーとはお別れをした。

高度成長時代、日本には3Cと呼ばれる神器が存在した。クーラー、カラーテレビ、車がそれだ!3Cが近代的文化生活の象徴だった。それから30年。日本は世界一の金持ち国となった。国民の多くが平均的水準以上の生活をするようになった。今や、我が家にも各室にクーラーが付いている。テレビも一人一台だ。3Cは、もはや当たり前の物となった。
性能も向上した。今のクーラーは音が出ない。点いているのかどうかさえ分からない。もちろん、夜中に回しても、余程でない限り問題にならないだろう。隣近所からの嫌味を耳にする必要もなくなった。――しかしその間に、個性は渇水の如く失われた。個性尊重主義から、平均値尊重主義に様変わりした……。私は、あのクーラーが懐かしい。

あの時の風は一体何だったんだ?

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