旅情を掻き立てた「にほんのうた」シリーズ
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ディスカバー・ジャパンのキャンペーンが始まった頃、
音楽界でも大きな動きがありました。

脚本家・作詞家・タレントなど数多くの肩書きを持つ「永六輔」氏が作詞を担当し、作曲家「いずみたく」氏(1992年、62歳で没)が曲を書き、男性4人組のコーラスグループ「デュークエイセス」が唄った「にほんのうた」シリーズのヒットが更なる旅ブームを巻き起こす起爆剤ともなった事に間違いは無いでしょう。

「にほんのうた」シリーズは、永六輔氏、いずみたく氏、時にはデュークエイセスの各メンバーが日本各地を回りながら制作したLPレコードのアルバムで、1966年の第1集から1969年の第4集まで、1年でLP1枚、合計4枚、合計収録曲数50曲で東芝EMIレコードから発売されていた。
確か、最初にヒットチャートを駆け上ったのは「京都」をイメージし書かれた「女ひとり」だったと記憶しています。
琴の音色で始まるイントロに続いて ♪京都 大原 三千院♪ という歌い出しで京都の情景、情緒を切々と歌い上げた名曲でした。

今と違って交通事情の良くなかった当時の三千院はそれ程多くの観光客が訪れる場所ではなかったようですが、この歌のヒットのお陰で一躍京都屈指の観光地となってしまいました。本来、八瀬や大原は山間に佇む里で比叡山を経て琵琶湖に抜ける抜け道として利用されていましたが、三千院が脚光を浴びたことにより、近くにある寂光院などにも多くの観光客が押し寄せ、今や、休日には駐車場を探すのに困るほどに賑わっています。
さすが、山寺なので夏は涼しく紅葉も見事な名勝になっていますが、私個人としては初冬の大原の里のちょっと寒いイメージが大好きです。
にほんのうたシリーズ
第1集
にほんのうたシリーズ
第2集
にほんのうたシリーズ
第3集
にほんのうたシリーズ
第4集
刈り入れが済んだ田から風に吹かれて斜めに立ち上がる藁焼きの煙の哀愁と匂いが堪りませんね。
「にほんのうた」シリーズのその他の曲としては、当時新婚旅行のメッカとして有名だった宮崎をテーマとした「フェニックスハネムーン」、ドリフターズのカバーで有名となった「いい湯だな」、かえるの鳴き真似が滑稽な「筑波山麓合唱団」などが懐かしいです。

当時の若者はジャズやフォーク、歌謡曲、洋楽などいろんなジャンルの音楽をよく聞いていました。まだFM放送が今ほど当たり前ではなかった時代でした。FM局も私の住んでいる地域で2局ぐらいでしたが、FM付のラジオもなく、もっぱらAM局の深夜放送に聞き入っていました。街には沢山の「喫茶店」があり、珈琲一杯で朝から晩まで仲間達と駄弁っていましたね。
繁華街には結構「ジャズ喫茶」もあり、ジャズファンはそちらに入り浸りの日々でした。

携帯電話など無い時代で、若者の間では「車」が興味の対象でした。箱スカ(スカイラインGT-2000)、ブルーバード310、コスモスポーツ、HONDA99やHONDA77.軽四輪ではHONDAのN-360、ダイハツのフェローマックス、三菱のミニカスキッパー、スズキのフロンテ...などなど、今思い出しても、何故か胸がキュンッとしてしまうのは何故でしょう。排気量は360ccで平均馬力30数馬力の今から考えればおもちゃのような車でしたが、夢が一杯詰まっていました。
無理して軽四輪の中古車を手に入れ、週末は鍋釜を積み込んで気ままな旅に出かけることが一番の楽しみでした。

カーステレオも当時は8トラック仕様で大きなエイトパックと呼ばれるケースに入ったテープが主流で、やっとカセット式カーステレオが発売され始めた時期でした。録音のできないエイトパックに比べ自在に好きな曲が録音再生できるカセットは最高の旅のお供となりました。勿論、4年掛けて集めた「にほんのうた」のLPは全曲カセットに入っていました。そのレコードも、CDへの移行時に処分し手元からなくなってしまいました。今から思えば残念でなりません。

時代は移り変わり、今、私のテジタル式のウォークマンには、懐かしい時代のフォークソングや歌謡曲がびっしりと詰まっていますが、「にほんのうた」シリーズはまだ収録されていません。
「にほんのうた」と共に、今度はゆっくりと、また日本の各地を巡りたいものです。

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