旅行のプラン立ては楽しい…
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旅行は本当に楽しいですね。
広大な自然の中での深呼吸!美味しい空気を吸うだけで普段の疲れなど吹き飛んでしましますし、人生を一回りも二回りも大きくしてくれます。
今やテレビのチャンネルを廻せば(表現が古いですね。歳がバレそうですが...今やチャンネルは押す時代でしょうか)どこかで旅行番組をしています。空前の温泉ブームなんだそうで、40年振りの大ブームを巻き起こしているようです。40年程前といえば1970年代。あの大阪万博で日本中が賑やかだった様子を思い起こします。
40年程前といえば1970年代。あの大阪万博で日本中が賑やかだった様子を思い起こします。

ちょうどその年、私は旅行社に就職しました。万博景気に浮かれ海外旅行が自由化されて間もない頃でした。今では考えられないことですが、日本からドルを持ち出す(換金と言うのですね...)のに日本銀行の許可が必要でした。
しかも、観光旅行の場合は一人500ドルまでだったでしょうか?仕事で渡航する場合は1000ドルだったように覚えています。当時「Bの20」と呼ばれた申請用紙に記入し、判を押して日本銀行で許可を貰いました。今度はその用紙を銀行の外国為替の窓口に持っていきドルと交換してもらうんです。一人が何度も換金できないように、パスポートにちゃんと日付と金額が記入されていました。日本の国が保有する外貨が少なかったのですから仕方が無かったですね。
そんな大事な外貨を、みんな腹巻に撒いて飛行機に乗ったものです。ちょうど映画の寅さんのように...。

まだまだ日本は貧乏な国でしたが、そんな中、国鉄(今のJRで当時は日本国有鉄道=JNR=Japan National Railway=と言ってました)が広告代理店の電通と組んで大々的な旅の一大キャンペーンを繰り広げていました。「ディスカバー・ジャパン」と銘打ったそのキャンペーンは貧乏な学生の心に火をつけ、学校が休みになると誰もがリュックサックを背負い小脇に時刻表を抱えるといったスタイルで夜行列車に乗って日本中を旅していました。春休みや夏休み、冬休みの前になると駅のみどりの窓口や旅行代理店で「周遊券」という割引切符が販売され、アルバイトで貯めた現金を握り締めて列に並ぶ若者の姿が当り前のような風景でした。
ファッション的にも若者対象が全盛の時代です。ロングヘアーにGパン姿、女性は長い髪のワンレン(もう死語です)で、読む雑誌は「an・an」や「nonno」。「amica」って言うのもありました。それらの雑誌がこぞって新しい観光地を開発しました。皆さんもよくご存知の「軽井沢」も当時紹介された新しい観光地でした。
JRの駅には大きな観光ポスターが何枚も貼り出され、それらがよく盗難にあったものです。今から思えば、どのポスターも何故か妙に「シズル感」があったように思えるのは私だけでしょうか?

学生は貧乏でしたから、今のような旅館やホテルに泊まることはまずありませんでしたね。
みんな、ユースホステル!
何ヶ月も前から往復はがきで予約をとるんですね。3ヶ月前では遅すぎで半年前から予約をするのが当たり前の時代でした。だから旅行のプラン立ては早くから時間をかけてじっくりと練り上げていったものです。時間があれば時刻表とにらめっこで、乗り継ぎの時間を確認していきました。駅で3時間4時間待ちは当然。今のようなせっかちな旅では味わえないノスタルジーがありました。知らない町の知らない駅での時間待ちで知らない人と知り合って...そんな浪漫もたくさんありました。時刻表を開くだけでまだ見ぬ景色を想像していました。泊まるところが無くて駅で寝ることも日常茶飯事!今なら駅員さんが飛んできて直ぐに追い払われてしまいますが、当時はそれも当たり前。日本中がおおらかでした。どこどこのユースホステルのペアレントは怖いとか優しいとか、とにかく毎日開かれるミーティングで情報交換するわけです。何軒のユースに泊まったかが自慢の時代でした。一泊800円前後の宿泊費は当時としては決して安くは無かったですね。私の旅行社の初任給が2万円前後でしたから...お分かりだと思います。でも、何もかもに夢があった時代です。

そんな時代背景でしたから、「ディスカバー・ジャパン」のキャンペーンは長期的な大ヒットとなりました。でも、実はこれ、その数年前にアメリカで実施されたキャンペーン「ディスカバー・アメリカ」の焼き直し企画でした。つまり、パクリ!でも根本的に違ったのはアメリカでは航空機が主役で鉄道はマイナー的な存在で、しかも、鉄道の売上の殆んどは貨物!その貨物が航空機輸送に脅かされてのキャンペーンだったのに対し、日本は鉄道の需要の殆んどが旅客で、その旅客の足が航空機に脅かされたのがきっかけのようです。そういう意味ではオリジナル企画だったのかもしれませんね。

いずれにしても、日本人の心に「旅」と「楽しみ」いう大きな夢を刻み込んだ成果は偉大でしたね。

今の旅は、どちらかと言えば車やレンタカーが中心となり、車内にはカーナビが鎮座して道を間違えることも少なくなりました。結果、地図を読む...という楽しみを知らない人も多く見受けられるようです。私の父親は自称アルピニストだったためか、地図は読むもの!と小さい時から聞かされていました。それも道路地図ではなく2万5000分の1の国土地理院が発行する登山用の地図です。見慣れると等高線から山の形や谷の深さが見えてくるらしいのですが、残念ながら私には見えてきませんでした。でも、ここは針葉樹の森があり、ここには果樹園があり...など、結構役に立ったなと思います。中途半端な解読力のため、道に迷うことも多々ありますが、そのお陰で偶然発見した風景や人の暖かさなどとても多くのことを体験できたことも嬉しいことです。

くだらぬ話を長々と書きましたが、たまには本屋で久し振りに時刻表でも手にとり、パラパラとページをめくってみるのも良いかもしれません。昔のような夜行列車も無くなり、何処に行ってもめし屋や宿屋、温泉にみやげ物屋と何でもござれの昨今ですが、青春18切符を片手に久し振りに各駅停車に揺られるのも良いかも知れません。

「狭い日本、そんなに急いで何処に行く...」昔の標語が胸の中で懐かしく響きます。
藁を焼くあの匂い、初冬の夕暮れの冷えた空の寂しい色、太陽が輝く南の空と海の青い色、夏の友に描いた入道雲の眩しすぎる輝きの色。通り雨のあとに広がる虹の色を探すためにまた時刻表を開いてみましょうか...?

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