No. 00043 緯度:34度 66分 経度:135度 51分
【大阪府】 梅香漂うなにわの宮 高津宮(高津神社)

大阪市街地のど真ん中にあり、上方落語「高津の富」で富くじ抽選の場所として登場する「高津宮(こうづぐう=高津神社)」は大阪屈指の梅の名所でもある。

規模や広さでは大阪城公園や万博公園などと比べとても及ばないものの、花の見事さは決して見劣りのするものではない。
そう!ここ「高津宮」は、大阪人の隠れた梅の名所として、先人から親しまれてきた梅の名所で、現在でも多くの参詣者が観光客が訪れる宮である。決して境内は広くはないが、東側に梅林がある。また、隣接する「富亭」では、定期的な落語会も催されている。
高津宮参拝にはこの石段を登る 白梅、紅梅…見事な花が開く
高津宮参拝にはこの石段を登る 白梅、紅梅…見事な花が開く

地下鉄千日前線、谷町線の「谷町9丁目」2番出口より北西へ徒歩約5分。谷町筋と松屋町筋の中間のビルに囲まれた一角のひときわ高く詰まれた石垣の上に本殿が鎮座している。駐車場は無いので、車で訪ねる場合は近隣のコインパーキングを使用。


仁徳天皇を祀り、上方落語にも登場する富くじの境内に梅花が香る
梅の枝振りが本殿を飾る
梅の枝振りが本殿を飾る
表参道を通り抜けると本殿が…
表参道を通り抜けると本殿が…
悪縁を絶つ坂(縁切坂)
悪縁を絶つ坂(縁切坂)
本殿での奉納の儀式
本殿での奉納の儀式
日本の多くの神社が天照等の「神様」を祀っているが、高津宮は仁徳天皇を中央の本座にし、左座に祖母である神功皇后をはじめ、父とされる応神天皇、祖父の仲哀天皇、右座に長子である履中天皇、葦姫皇后が祀られている。
大通りから少し入っているとは言え、市街地の真っ只中にありながら、ここだけは静寂な時が流れているように感じてしまう。
一段高い立地のため、参詣するには必ず階段を上らなければならなず、北側に「北坂」、西側に「西坂」「相合坂」、そして南側に「高津宮表門坂」と名づけられた4つの石段がある。
南側の「高津宮表門坂」が表参道となる。通常はここから、参拝する事になる。
大きな石の鳥居をくぐり「梅乃橋」と呼ばれる小さな石の反り橋を渡る。江戸時代にはこの橋の下を梅川と言う川が流れており、道頓堀川に流れ込んでいたらしいが、現在ではその面影は見られない。橋を渡ると左側に「梅乃井」と呼ばれる井戸跡がある。
昔から、上町大地界隈は良質の水に恵まれた地域だった。更に谷町筋辺りが「梅ヶ辻」と呼ばれており、古くからこの界隈は梅の名所として知られていた事が伺われる。

岩おこしの梅は高津宮の梅
岩おこしの梅は高津宮の梅
大阪名物といえば「岩おこし」だが、そのパッケージに赤い梅のマークがあしらわれている。この梅は今まで天神様の梅だと思っていたが実際はそうではなく、高津宮の梅だそうだ。これには認識を新たにさせられた。

先ほど、坂の事を書いたが、その中で西坂は別名「縁切坂」と呼ばれている。この坂は、明治初期まで三下り半ありそのことから「縁切坂」と呼ばれたものの、現在では「悪縁」を切る坂と言う事になっている。明治の中期に改修されたので、現在は三下り半ではなくなっている。その南側にもうひとつの坂がある。
左右どちらからでも上り下りが可能な二等辺三角形に似た形状をしているため、子供の頃に良く悪戯書きした相合傘に似ている事から「相合坂」と呼ばれている。こちらは、文字通り「縁結びの坂」とされ、頂点部分で出会うと相性が良いとされている。
相合坂を上った境内の向こうに結婚式場の建物があるのは、ちょっと出来過ぎだろうか…?!
境内にある高倉稲荷神社
境内にある高倉稲荷神社
北側公園側の石垣
北側公園側の石垣
梅林から見た高倉稲荷神社
梅林から見た高倉稲荷神社
狭いが何故か「ホv」とする梅林
狭いが何故か「ホv」とする梅林
本殿の手前左側には参集殿「高津の富亭」がある。名称は、落語「高津の富」から名づけられた。落語をはじめ、定期的に寄席や文楽などが行われている。
ところで、皆さんは「高津の富」という古典落語をご存知だろうか?
簡単にストーリーを言えば、宿賃の足らなくなった旅人が、なけなしの金で「高津の富くじ」を買い、めでたくそれが大当たりする…というもので、大抵の方が一度や二度は聞いた事がある話だと思う。
もちろん、富くじとは今で言う宝くじだが、当時の富くじはお寺や神社がお堂の改修費用を工面するために売り出されたもの。
主人公の旅人が一等の富くじに大当たりしたこともあり、宝くじを持参して祈願におとづれる参拝者も多いらしい。
しかも、本殿の傍らには、商売の神さまである稲荷神社が鎮座している。これも出来過ぎか…?!
いやいや、これこそがなにわの洒落!だ…?
今は景気に負けている感も少しあるが、商魂たくましい「大阪人」の心意気を感じて欲しい!

さてさて、梅の事をもう少し書いておこう。
先ほども書いたが、この界隈は昔から梅の名所として賑わいを見せていたが、「梅」「桃」「桜」は全てバラ科の植物で、いわば親戚同士である。
「梅」は2月中旬頃から咲き始め「桃」へとバトンタッチされ、桃は4月になって「桜」へとバトンを渡す。
これが春を代表する花の開花順序となっているが、今でこそ花見といえば「桜」となってしまっているが、この風習は江戸時代以降のもので、それ以前の奈良時代には花見といえば「梅」が一般的だったといわれている。
桜の頃は気温も上昇し、花見にはいい気候だと思われるが、果たして早春の梅の時期、花見は寒くは無かったのだろうかと勘ぐるのは邪推だろうか…?
色鮮やかな色々な梅の花が楽しめる

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