No. 00037 緯度:34度 86分 経度:134度 55分
【兵庫県】 赤とんぼと醤油の町 播州の小京都「竜野」

JR「姫路」駅から姫新線に乗り換え「本竜野」で下車。揖保川の懐に抱かれた醤油の町「竜野」は、夕焼け小焼けの赤とんぼ…」でお馴染の童謡「赤とんぼ」の作詞家、三木露風の生まれ育った町でもある。

また、竜野市を流れる揖保川の清流は地場産業としてそうめんや醤油、皮革製品の生産を育んできた。関西の料理に欠かせない「うすくち醤油」はここ竜野のヒガシマルで生まれた関西風味の醤油である。京料理など繊細な味加減に無くてはならない醤油として、関西の台所の定番となっている。
しっとりと落ち着く竜野の町並み 白壁が旅の情緒を誘う
しっとりと落ち着く竜野の町並み 白壁が旅の情緒を誘う

夕方になると町中に「赤とんぼ」のメロディーが流れる…
竜野を育んだ揖保川
竜野を育んだ揖保川
竜野は醤油の町 醸造工場の煙突が空に伸びる
竜野は醤油の町
醸造工場の煙突が空に伸びる
町中に用水が流れ清らかな水際に魚やトンボが…
町中に用水が流れ
清らかな水際に魚やトンボが…
竜野で醤油の生産がはじまったのは1587年(天正15年)とされており、当時は大豆炊きから小麦炒りまで全て人力で造られていた。

そもそも竜野で醤油作りが盛んとなり発展した大きな要因としては、第一に市内を流れる揖保川の水質が軟水で、鉄分が少なく、醤油の醸造に適していたこと。第二に、周辺の播州平野から産出される良質の大豆、小麦、米と赤穂の塩などの主原料の入手が容易であったこと。更に、生産された醤油の運搬に揖保川の水運が利用でき、船で網干から京都、大阪、神戸などの大消費地への輸送ルートに恵まれたこと等、多くの要因が絡み合った結果である。
「色をつけずにいい味付ける…」のフレーズで有名な竜野の淡口醤油は隠し味として甘酒が用いられている。この醸造法は寛文年間から引き継がれているらしいが、今や、上品な関西味には無くてはならない必須のアイテムとなっている。現在も地場の醤油メーカーは健在であるが、筆頭と言えばヒガシマル醤油のブランドで全国に出荷されている。まぁ、関西でヒガシ…と言うのは個人的に抵抗が無いではないが、「お愛嬌」「洒落」と言ったところだろう…。

また、「揖保の糸」に代表される播州そうめんも、ここ竜野が起源である。
関西には「播州」を始め、奈良の「三輪」、香川の「小豆島」等、手延べそうめんの産地が沢山あり、それぞれ太さ、コシ、柔らかさなど違いがあって楽しめる。関西に生まれて良かったと感じる贅沢さと至福を感じる瞬間でもある。
竜野では交番もこんな風…
竜野では交番もこんな風…
竜野は「赤とんぼ」の作詞家三木露風の古里でもある
竜野は「赤とんぼ」の作詞家
三木露風の古里でもある
赤とんぼの碑
赤とんぼの碑
竜野城址
竜野城址
関西人なので、つい話が食べ物になってしまう。話を「旅」に戻そう…。

竜野は「播州の小京都」と呼ばれる通り、城下町としてしっとりと落ち着いた風情が感じられる小都市である。
揖保川を渡って流れ込む風に育まれ育った三木露風は、あの有名で素朴な「赤とんぼ」の詞を書いた。誰もが口ずさんだことがあるあの詞である。

ここ竜野では、夕方の5時になると町中のスピーカーからこの曲が流される。町の何処にいても自然と耳に入ってくる。この曲が流れると、今日も一日が無事に済んだ…お疲れ様…と言う気持ちになる。
そんな安堵感と暖かい気持ちが町中に伝わる時間が、ここ竜野では日常的に繰り返されている。

町中を散策していると、中学途中の小学生や中学生から「おはようございます」「こんにちわ」と気軽に声をかけられる。最初は戸惑って言葉も出ないが、慣れれば自然と「こんにちわ」「おはよう」と声を掛け合う事もできるようになる。

「旅とは本当にいいものだ…」と、つくづく思う。

くだらぬ事を書く内に紙幅がなくなってしまった。

最後に、竜野は城下町である。
龍野城は別名霞城とも呼ばれ、寛文12年(1672年)脇坂安政により築城された。明治4年、廃城となっている。
宿泊施設としては、国民宿舎「赤とんぼ荘」がある。
播州そうめんには竜野の醤油がよく似合う やはりマンホールのデザインも赤とんぼ のどかな時間が流れる、竜野の午後…
播州そうめんには竜野の醤油がよく似合う やはりマンホールのデザインも赤とんぼ のどかな時間が流れる、竜野の午後…


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