No. 00011 (2010/08/13) 北緯:26度 21分 東経:127度 71分
【沖縄県】 世界遺産 いにしえの琉球王朝 首里城

2000年12月、日本で11番目の世界文化遺産として登録された『琉球王国のグスク及び関連遺産群』とは、首里城跡・園比屋武御嶽石門・玉陵・識名園・今帰仁城跡・勝連城跡・座喜味城跡・中城城跡・斎場御嶽 の9ヶ所を指します。
琉球王国約450年の歴史は、「薩摩の侵略」と「廃藩置県(琉球処分)」の2つの事象を経て幕が閉じられました。また、首里城は、太平洋戦争における日米最後の決戦として戦われた沖縄戦(1945年[昭和20年])で、アメリカ軍の猛烈な砲撃を受け炎上。完全に焼失してしまいましたが、1992年。47年ぶりに復元されました。

首里城を訪れ、最初に潜るのが「守礼門」です。
そこから更に続く石の階段を上れば視界は大きく開け、「正殿」が、その優雅な姿を表します。
守礼門






守礼門
首里城「正殿」






正殿



那覇を見下ろす首里の丘にそびえる琉球王国の王城
沖縄を訪れた観光客の殆どが足を運ぶだろうと言われる「首里城」。沖縄を代表する観光名所の一つですね。

前回に沖縄へ来たのはもうはるか昔、25〜26年も前の事でした。ご多分に漏れず、その時にも首里城跡にも訪れましたが、当時は守礼門があっただけで現在のような復元された首里城はありませんでした。守礼門の前で記念写真を撮って帰ったことを覚えています。

長い年月を経て再び訪れた沖縄。首里城が沖縄本土復帰20年を記念して1992年に復元されたと言うことで出かけてみることになりました。

沖縄には首里城をはじめ、数多くの城跡が今も残っています。そして、そのほとんどが山や丘の上に築かれて歴史を物語っています。

首里城は沖縄県那覇市首里にあり、標高約120メートルの那覇を見下ろす丘に築かれた沖縄最大の城です。首里城を中心としてさまざまな門や史跡があり、 今では国営の首里城公園として開放されています。

駐車場がある首里杜館(すいむいかん)を出て、暫くあるくと最初に迎えてくれるのが守礼門です。「守礼(しゅれい)」とは「礼節を守る」という意味だそうです。門にかけられた額には「守禮之邦」と書かれています。これは琉球は礼節を重んずる国、平和の民族をあらわすものだそうです。

この守礼門の辺りには記念写真撮影用に沖縄の民族衣装(紅型)を着た女性たちがいて、観光客の記念写真の相手をしてくれます。
また道の両側には熱帯植物などが生い茂っていたり、ハイビスカスの花が咲いていたりと南国の雰囲気がたっぷりです。
中でも、いたるところに植えられている蘇鉄が青々と見事な葉を茂らせてるのがとても印象的です。

守礼門は1933年(昭和8)に国宝に指定されましたが、沖縄戦で消滅しました。現在の門は1958年(昭和33)に復元されたもので、沖縄を代表する観光名所として利用されてきました。2000年に開かれた沖縄サミットを記念した二千円紙幣の絵柄になったことは、皆さんご承知のとおりですね。

守礼門を通り抜け、いよいよ首里城正殿目指して進んでいきます。首里城は石垣と城門の多い城で、正殿に辿り着くまでには幾つかの門を通っていくことになります。
次に国王が外出するときに安全を祈願した礼拝所、園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)があります。名前は門となっていますが、神様への礼拝の門とでもいえば良いのでしょうか。

次に出会うのが城郭内へ入る第一番目の正門、「歓会門(かんかいもん)」です。「歓会(かんかい)」というのは歓迎するという意味だそうです。別名を「あまえ御門(あまえうじょう)」といいます。「あまえ」とは琉球の古語で、「喜ばしいこと」を意味するのだそうです。
この門も沖縄戦で焼失しており、現在の門は1974年(昭和49)に復元されたものです。
また門の両脇には石造りのシーサーが1対置かれています。これは魔よけの意味で置かれているものです。

さらに進むと迎えてくれるのが「瑞泉門(ずいせんもん)」です。門の右側手前に王宮の飲料水として使われていたという「龍樋(りゅうひ)」と呼ばれる湧水があります。名前の由来は龍の口から水が湧き出していることからこのような名前になったとの事です。その龍の彫刻はかつて中国からもたらされたもので、およそ500年程前のものなのだそうです。
守礼門にかけられた額には「守禮之邦」と書かれています 首里城の正門「歓会門」 漏刻門(ろうこくもん)
守礼門にかけられた額には
「守禮之邦」と書かれています
首里城の正門「歓会門」 漏刻門(ろうこくもん)

悠久の時の流れを越え蘇る琉球王国の象徴…首里城
「瑞泉」は「めでたい泉」という意味があるそうです。門のすぐ傍に「龍樋」があることから「瑞泉門」と名づけられたと言われています。別名を「ひかわ御門」といい、この門が第二番目の門になります。
瑞泉門も沖縄戦で焼失し、1992年(平成4年)に復元されたものです。

第三番目の門は「漏刻門(ろうこくもん)」です。「漏刻」というのは中国語の「水時計」を意味しています。当時門の櫓の上に水槽を置いて、水の漏れる量で時間を測ったと言われています。
この辺りまでくるとかなり高いところまで登って来たことになります。眼下には曲線を描く城壁や先に通ってきた門、城郭の緑の森、そして那覇の街並みを望むことができます。
お天気に恵まれると、さらに遠くには青い空とエメラルドグリーンの沖縄の海をも見ることが出来ます。まさに絶景のビューポイントでもあるわけです。

次は第四番目の門ということになり、正殿まであと少しです。第四の門は「広福門(こうふくもん)」と呼ばれ。これまでの石造りの門とは違い、木造で壁は朱塗り、屋根は赤瓦と赤で統一されています。

また、門であると同時に神社仏閣を管理する「寺社座(じしゃざ)」と、士族の財産争いなどを調停する「大与座(おおくみざ)」という役所が設けられていました。現在は発券所になっています。
広福門を潜り抜けるといよいよ正殿への入り口となる最後の門、「奉神門(ほうしんもん)」が姿を現します。
広福門の内側は広場になっていて、広場の北側に広福門、東側に奉神門、南側に首里森御嶽、西側に系図座・用物座があります。この広場は儀式のメイン会場である御庭(うなー)の控えの場で、下之御庭(しちゃぬうなー)と呼ばれていました。

首里城には10の御嶽がありますが、首里森御嶽(すいむいうたぎ)はその中でも正殿に一番近い位置にあり、神が造られた聖地であるとされています。
奉神門は「神をうやまう門」という意味です。奉神門には3つの入り口があります。中央の入り口は、国王や中国からの冊封使など身分の高い人だけが通る事ができる門でした。それ以外の役人たちは両側にある入り口を通り入城していました。現在は見学の改札口となっています。

奉神門を潜ると、一気に視界が広がり目の前に正殿と御庭(うなー)が見えます。

赤と白の縞模様に塗られた広い御庭は、様々な儀式が執り行われるメインの場でした。中央に引かれたラインは正殿へと向かう聖なる道を意味しているのだそうです。

その聖なる道の先に現れた正殿を見た瞬間、中国の紫禁城を思い浮かべました。

沖縄の城は「グスク」といいますが、日本本土の城に見られる天守建築ではなく中国の宮殿の影響が強く感じられます。ただ、中国では正面は南であるのに対し、首里城は中国皇帝がいる西側が正面となっています。

正殿は政治の中心を象徴する琉球王国最大の木造建築物です。その美しさは煌びやかで絢爛豪華なものです。
唐破風(からふぁーふー)と呼ばれる正殿の正面玄関には、国王の象徴である龍が刻み込まれ、いたるところに獅子が描かれています。

内部は金箔と漆塗りで彩られ、いっそうきらびやかです。
御差床(うさすか)と呼ばれる国王が座る玉座の左右の朱色の柱には龍が描かれ、そのまわりには雲が配色されているなど、ここにも中国から受けた影響が強く見られます。日本と中国、その両方の影響を受け、磨き築きあげた琉球装飾といえるものでしょう。

南海上の美しい国、琉球の象徴であった首里城…その蘇った美しい華麗な姿は青い空と海によく映えています。そしてその歴史や文化を後世に継承すべく語りかけているかのようです。
漏刻門を抜けた辺りからの眺め 門と門を曲線で繋ぐ石垣 礼拝所「首里森御嶽(すいむいうたぎ)」 沖縄で三大名花と呼ばれる花オウゴチョウ(黄胡蝶)
漏刻門を抜けた辺りからの眺め
門と門を曲線で繋ぐ石垣
礼拝所「首里森御嶽(すいむいうたぎ)」 沖縄で三大名花と呼ばれる
オオゴチョウ(黄胡蝶)

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